冬マラソン本番レースとして、シリアスランナーが集う別府大分毎日マラソンに参加してきました。
リザルト│3:04:58
今年もサブ3復活を目指して臨みましたが、目標達成ならずです。無念。。。
レース総括としては、加齢とトライアスロンに重点を置いた練習により体重オーバーでレースに臨み、頼みの綱で勝負シューズ(後述)投入したものの序盤から走りに軽さがなく、35km地点で脚が終了しました。
コース感想
タイムが出やすいコースと言われている通り、アップダウンの少ない走り易いコース。他のブログ記事では産業道路の傾斜が気になると書かれているものがありますが、個人的には問題なし。横浜マラソンの首都高区間のほうが余程傾いています。
その他、これはコースとは関係ないですが参加資格がサブ3.5以上ですので、周りは皆ガチランナーばかりです。記録証を提出して、厳密なタイム順に整列させられるので、スタート後の混雑もなくコースプロファイル以上にこちらが走り易さに貢献しています。
レース前の練習量
レース前の走行距離は
- 11月:180km
- 12月:215km
- 1月:272km
とそれなりにしっかり走り込めていました。ただ、年末の業務上の会食・年末年始の実家での暴飲暴食・加齢影響・トライアスロン練習による上半身の筋肉量増加などでレース近辺の起床時体重は62kg前後と、ベストタイムを出した58kgの時よりかなり重め。
走ってみた体感では、やはり60kgを超えてくると軽やかさは失われ、フルマラソンでは後半の失速は免れません(ちなみに筆者身長は172cm)。
レース前の会場の様子
参加者が大都市のマラソンに比して少ないこともあり、レーススタート地点は快適極まりない状態です。
登録タイムがサブ3組と3時間超え組は道路を挟んだ別の場所で待機させられるのですが、筆者の属する3時間超え組の待合エリアでもトイレ混雑なしで、ギリギリまでウォームアップ等に専念出来ます。
使用シューズ:Adizero SUB2
使用シューズは普段からレースに使っているAdizero takumi renにするか、レース初投入のAdizero SUB2にするか最後まで迷いました(左がtakumi ren、右がSUB2)。
結果として最後は機材頼みということで、当日朝の気分でSUB2でレースに望むことに。
Adizero SUB2の使用感の詳細は別記事に譲るとして、素人ながら大まかな感想を記すと「takumi ren以上でtakumi sen未満のスピード域のシューズ」となります。
結果的に35km地点で脚が売り切れてしまったのですが、これはハーフ通過時点でサブ3がギリギリであったことから筆者が無理にペースアップを図った結果と考えますし、実際走り始めはかなりのクッション性すら感じるほどでした。
↑takumi renとSUB2のソール厚の比較ですが、パッと見で分かる通りSUB2の方が厚みがあります。ただしSUB2は全てBOOSTフォームですので、クッション性の中にも弾む感じは強いですし、その分知らず知らずに脚にもダメージが蓄積するのでしょう。
その他の装備
別府大分毎日マラソンは寒い年と暑い年があるのですが、今年は暑い年。装備も暑さ対策に重点を置きました。
- トップ:トライアスロンチームのタンクトップ
- ボトム:ノースフェイス フライウェイトレーシングベリーショート(筆者オススメのアイテム)
- アイウェア:オークリー(メーカー純正の度付きレンズ)
- グローブ:R✕L
- ウォッチ:ガーミン230J
- アームカバー:FOOTMAX
- ソックス:CEP
補給食は全てパンツの腰の部分のメッシュポケットに挟んで持参しました。揺れにくいのでオススメですが、このパンツ自体は今シーズン(2019SS)の正規ラインアップから商品がなくなっております。
裾丈が少し長いフライウェイトレーシングショーツは製造されてますので、今シーズン購入される方はこちらがオススメです。
なお別注(?)として、東京駅そばにあるノースフェイスFlight Tokyo限定でレーシングベリーショートが販売されているので、東京近郊にお住まいの方はこちらでの購入がおすすめです。
補給食
毎度おなじみのショッツ・コーラ味です。補給食は食べ慣れたものが望ましいので、ここ数年はマラソンもトライアスロンもこれで通しています。
まとめ
走行距離をどれだけ積んでも最終的に体重調整に失敗するとやはり狙ったタイムは出ないものです。
またトライアスロンを続けていると、どうしてもスイムによる上半身の筋肉と自転車による太ももの筋肉がマラソンで必要なレベルより付きすぎる感じがします。もちろん今年40歳になる筆者にとって加齢による衰えも避けられません。
それでも目標を掲げ、それに向けて綿密にトレーニングをし、本番で結果はともかく全力を尽くすのは楽しいですね。
40歳を迎えても、楽しく苦しくこの競技に取り組んで行きたいと思います。
ではまた。